思い出を書き過ぎているのかもしれないと思う。
しかし、それ以外とは何だと言われたら、過去の体験はすべて思い出でもあるといえる訳で、今日起きたことも今からしたら過去の体験であり、そうすると思い出以外のことだけを書くことは難しいのかもしれないとも思う。
回りくどい言い方である。
今日、新潮社の雑誌『波』が届いた。
ジョン・バンヴィル『いにしえの光』の書評に、こんな文章がある。
近代小説のひとつの特色は、思い出を文学の大きな主題にしたことだろう。
時間があまりに速く過ぎてゆく近代にあっては、過去と現代の連続性が失われてゆく。
過去と断ち切られた人間は、なんとか自分の統一性を取り戻そうと、思い出にすがる。
(川本三郎「思い出を生き直す」、『波』2013年12月号より)
『いにしえの光』では、思い出は決して良いものとしては語られない。
そしてここでも、自己の過去との連続性を取り戻す方法として、思い出にすがるのだと言っている。
しかし評者は第一声に、こう宣言しているのである。
小説とは記憶だ。
失ってしまったかけがえのないものへの愛着、思い出なくして小説はありえない。
おそらく、人にとっての思い出は良くもあり悪くもある、しかし小説にとって思い出は、なくてはならないものだと。そう言っているのである。
私は、人として思い出にすがりたくはない、しかし記憶を紡いでいきたいと思う。
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