クリスマス礼拝に行った。
なぐさめられるよりもなぐさめることを、
理解されるよりも理解することを、
愛されるよりも愛することを、わたしたちに求めさせてください。
(「平和の祈り」より)
普段なら、こんな言葉は綺麗事だと思う。
でも、できるならそうありたい、そう生きようとしている人を、知っていると思った。
「醜さを愛せ」とは、某ドラマの最終回の決め台詞である。
正しいと思う。
誰だって、なぐさめられたいし、理解されたいし、愛されたい。
それを醜さというのか分からないけれど、すくなくとも、健康な欲望だと思う。
それを否定することはしたくない。
以前、イスラム教の友人と話していて、日本は無宗教の人が多いと思うという話をした。
「じゃあ、いったい何を心の支えにしているの」と聞かれた。
そうか、彼にとってイスラム教は、心の支えなんだと思った。
祈りは、理想であり、綺麗事であふれているかもしれない。
だけれど、きっと、心の支えなんだろうと思う。
現実はそうはいかないことが分かっているからこそ、何が正しくて何が間違っているのかも答えがないからこそ、きっと、心の支えなんだろうと思う。
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