「忘れそうになる」
と言ったことが、忘れられないでいる。
3年前、私は新しい生活を始めるところだった。
茨城から、片道5時間かけて引越しをした。
初めての一人暮らしに、毎日がサバイバルだった。
スーパーでどの野菜を買ったらいいのか、どの肉が鮮度が良いのかもわからない。
相場もわからないから、どれが高くて、どれが安いのか。
毎日、夕飯は何を作ればいいのか。(数個のレパートリーはすぐに切れた)
研究室は慣れないし、実験は覚えなきゃいけないことばかりで、生物は待ってくれないし、やるべきことはどんどんやってくる。
洗濯物はどんどん溜まるし、買い物に行かなければ食べるものもない。頭の中はパンク寸前だし、一体全体どうやって生きていけばいいのか!
大混乱の中、周囲の多大なる助けのおかげで、なんとか普通に生活できるようになった数ヶ月後。
私は、茨城にいる友人とスカイプで話をしていた。
茨城から片道5時間のその場所は、福島から遠く、余震もほとんどなかった。
納豆が品薄ということもなく、すべてが日常だった。
そういう日常に加え、そこで生活することだけで精一杯だった私は、友人に
「震災があったことを、忘れそうになる」
と言った。
海に面した研究所だった。
毎日、海を見て過ごした。
私が見る海は、穏やかで、きらきらしていて、たくさんの生きものがいた。
この海が、多くの人々の命を奪ったとは思えなかった。
まるで何事もなかったかのような顔をする海の近くで、本当に「忘れそう」になっていたのだと思う。
私は、「忘れそう」になった自分を、忘れられないでいる。
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