2014年3月30日日曜日

『穂村弘ワンダーランド』メモ

『穂村弘ワンダーランド』(沖積舎)を読んで思ったこととして。


社会的サバイバルの中の言葉と、詩歌における言葉について。

社会的サバイバルの中の言葉というのは、伝達のロスがない効率的な表現。
誰が読んでも同じ意味に読むことができるもの。
例えば、5W1Hがしっかりあって、結論は○○で、その理由は1~、2~、3~、みたいな構造。

詩歌における言葉は、それと真逆であることが求められることが多い。
例えば、わざと「誰と」を言わないこと。そうすることで読む人が「誰と」を想像する余地が生まれる。友達なのか恋人なのか、はたまた家族なのか。
その空白に読者が読者自身の「誰と」を思い浮かべることで、読者にとって、より生々しいイメージを持たせることができる。
つまり、書き手がたとえ「友達と」であったとしても、「友達と」と限定しないことで、読者は自由に読者自身の「恋人と」であったり「家族と」であったりを、その状況に当てはめて、より自己の体験に引き寄せた生々しいイメージを持つことができるということ。

社会的サバイバルの中の言葉と、詩歌における言葉が、このような違いを持つといった場合に、言葉の捉え方としてその違いを理解していることは重要だと思う。
それは、もちろん社会的サバイバルの中で生きていくために重要というのもあるが、同時に、詩歌の創作時において、その違いを理解していることが活きてくる、という意味で重要でもあると思う。

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