2014年8月4日月曜日

目指せばもう

目指せばもう始まっている花火かな(長嶋有)


この句は、花火を目指しているのがいいよね。
今日が花火だって知らなくて、花火の音が聞こえたとき、男だけだったら目指して歩かない。
ここからでもちょっと見えるし。わざわざ人混みの中にいかなくても。
とか、男は言ってる。
でも、女の子は「なに言ってんの!行こうよ!」って、男をぐいぐい引っ張っていく。
そうやって目指しているのがいいよね。アクティブな感じで。

と誰かが言っていたのか、それとも自分で考えたのか、まったく思い出せない。
とにかく、今週末はいたるところで花火をやっていて、この句とともに「女の子に引っ張られる男」の情景を思い出したのである。

2014年7月25日金曜日

蟻とキス

入道雲に向かって足を投げだして天才蟻の話をしたね(穂村弘)


むかしむかし道路に兄が寝そべって天才蟻とキスをしてたの(藤 明日香)


昔は、よく道路にチョークで絵を描いて遊んでいた。
車も通らなかったから。
そうすると、地面に顔を近づけているから、蟻を見つける。
それで、捕まえて、兄と兄の友達が、蟻とキスできるかってやるわけ。
私は、ばかだなーと思いながら見ている。
ちょっとして、「いってー!」って言う声がする。
蟻に口を噛まれたんだって。ばっかでー。

2014年6月14日土曜日

綿毛



たんぽぽの綿毛を指でくるくると縒って飛べなくしてしまう彼(藤 明日香)



昼間、いい天気だったので窓を開け放って本を読んでいたら、大きな綿毛が飛んできた。
反射的につかまえた。綿の部分が指にくっつく。
そのまま、くるくるっと「こより」を縒るように巻いてしまった。

「彼」というのは特定の誰かではなくて、少年から青年全般をさす。(もちろん彼氏でもいい)
男の子なら皆どこかそうしてしまうところがあるんじゃないかと。
くるくるっとしたら飛べなくなってしまう訳だけど、そう認識するより先にくるくるっとしてしまう。そこには悪気はまったくなくて、やってしまった後に、あっ、とか思う。
女の子のほうが、そういうのは想像力がある気がする。だからやらないし、そうしちゃう男子をみて短歌とか作っちゃうような気がする。

2014年6月13日金曜日

チャーハン

チャーハンを作るとき、思い出す女の子がいる。

小学二年生の頃だったと思う。
クラスメイトに、Mちゃんという女の子がいた。
男勝りで、クラスで一番強い女の子だった。
特に仲がよかったわけではなかったけれど、その頃は変にグループに分かれているのではなく、皆ゆるやかに仲がよかったので、その日はたまたまMちゃんと二人で帰ることになったのだった。

私は彼女に興味があったのだと思う。
いろいろ質問した。
そして、彼女が家でひとりで料理をして食べているということに、とても驚いた。
「チャーハンとか、ちゃっちゃと作れるよ」
と言いながら、フライパンを振る真似をする。こともなげに。7、8歳の女の子が。
私は何もできなかったと思う。トマトを切るぐらいだろうか。
とにかく、ひとりで料理ができるという彼女をおおいに尊敬した。

彼女はそのあと少しして転校してしまい、他の質問はすべて忘れてしまったけれど、その時のチャーハンを作る彼女の姿は今でもはっきり覚えている。
そして、自分が一人暮らしをしてチャーハンを作るときに、必ず彼女を思い出すのである。

2014年5月25日日曜日

ある断片

「兄弟は」
「兄がいる、ひとり」
女は言って、視線をわずかに落とす。
「何、してるの」
男は続けて聞く。
うん。女は視線を持ち上げ、少し考えた後
「家にいるよ」
と、はっきり答えた。
そうか。男の表情はわからない。
「自宅警備保障だ」
男は言った。
そうね。女は少し笑った。

2014年5月24日土曜日

翻訳

アーサー・ビナードさんの話を聴いた。
彼は、日本語で詩を書く。
英語の体験を、日本語でアウトプットするとは、どういう感覚なのだろう。

例えば、子どもの頃、父親と川で釣りをした思い出を書く場合。
その頃はもちろん日本語など知らなくて、すべてを英語を通して体験していた。
父親の声も英語、自分の声も英語、川の名前も、魚の名前も、水の冷たさも、日差しのまぶしさも、聞いたこと感じたこと、すべてすべて英語。
でも、だからこそ、それを英語で表現しようとすると、英語にしばられてしまうのだという。
つまり言葉にしばられてしまうのだと。

そういう時、日本語で書くことで、言葉からふっと距離をとることができるそうだ。
概念としては、こうだ。
言葉になる前の、もやもやしたものが、まずある。
それを言語へと「翻訳」する場合、英語を用いると正しく「翻訳」できないのだ。例えば父親の発した英語の言葉にとらわれて、その言葉の向こうにあるものを掴み損ねてしまうのだと。
そんな時に日本語を用いて「翻訳」すると、言葉にとらわれずに「翻訳」できる。
外国語だからゆえに、言葉と距離をとることができる。

「言葉だけをみて、知っているつもりになるのが最も危険」であるという。
言葉とは慎重に付き合わなければならない。
感じるときは接近しないといけないし、表現するときは距離をとらないといけない。言葉にしばられないように。

2014年4月30日水曜日

深夜短歌

パソコンも電話も風呂に入れました どこにもどこにもつながらないよね


辛い辛い辛いというなら僕にくれアーリオオーリオペペロンチーノ


「谷」のつく場所で待ち合わせの晩にひとりで谷を一往復した


見覚えのあるような道とおり過ぎここは来た道ここは行く道


ねえずっと持っているもの渡してよ 山手線のつり革つかまる


別れ際になってはじめて気づいたように受けとってあげるわきっと