2017年5月11日木曜日

『歌集 人魚』について

染野太朗『歌集 人魚』(角川書店)について

・歌集タイトル「人魚」について
歌集タイトル「人魚」が連作「人魚」から取られたことは異論がないと思う。
しかし、この「人魚」が何を意味しているのか読み取ることは難しい。
分かることから紐解いていきたい。

まず、「人魚」の一般的な意味は、半身が魚、半身が人間の身体を持った想像上の生き物である。
彼らは海に生息するとされ、下半身が魚、上半身が人間、それも女性であることが多い。
物語「人魚姫」の人魚が、世間一般に共有される人魚のイメージであると言っていいだろう。
歌集「人魚」の場合も、そのイメージを前提に話を進める。

ここで、歌集タイトルとしての「人魚」の前に、連作「人魚」の人魚を見ていきたい。
連作「人魚」は歌集において、六章あるうちの第三章に含まれている。(この第三章は他の章と異なり、連作のタイトルがすべて漢字二文字で統一されており、それについても何らかの意図を感じる。おそらく「メタ的な視点」というのを著者が意識していることがここからも想像できるかもしれない。)

一首目、二首目の初句はどちらも「尾鰭つかみ」で、人魚の尾鰭を手でつかんでいる。人魚は逃げることも抵抗することもできない状態。浴槽があることから、場面は風呂場。海にいるはずの人魚が風呂場にいる。もしかすると、ここで言う「人魚」は実体を持つものとしてではなく、何らかの象徴として登場させているのかと微かによぎる。
三首目。防球ネットがあることから、場面が風呂場から野球場へ変化する。四首目、教室。五首目、プール。つまり、三首目から舞台は学校となる。八首目からは杉並区天沼へ。十四首目にまた浴槽へ、そして最後の一首は学校、生徒への呼びかけで終わる。
「人魚」が何らかの象徴であるとして、それは何であろうか。手掛かりになりそうなのは、場面が最初の浴槽へ戻った十四首目。

怒りにて冷えた身体を浴槽に沈める 怒りのみ濡れていく

「ここで言う「人魚」は実体を持つものとしてではなく、何らかの象徴として登場させている」としたら、それは身体から離れた「怒り」ではないだろうか。
「怒りのみ濡れていく」ことから、「怒り」が身体から離れていることが読み取れる。自己から分離した「怒り」は客観的に認識できるようになる。つまり、一、二首目は、分離した「怒り」を「人魚」に”擬人化”し、手でつかみ、浴槽の縁に叩き付け、殺したと考えることができる。
「怒り」の象徴としての「人魚」は「死」になったとすると、四首目

汗臭き教室へ行きつぎつぎに立ち上がる死と目を合わせたり

この「汗臭き」の身体性と対比された「死」は殺された「人魚」つまり「怒り」だろうか。
教室でつぎつぎに立ち上がるのは生徒しかいない。とすれば「死」は生徒である。生徒は怒りの対象としてこれまで何度か詠まれていることから、生徒に「怒り」を見、そしてその「死」を見たのかもしれない。

ここまでで連作タイトルとしての「人魚」を考えると、おそらく「人魚」は「怒り」の象徴と考えられると思う。


2017年3月31日金曜日

2017年3月12日日曜日

祈り

あのときは部屋のソファーに座ってた出しっぱなしの雛人形落ち

どうすればいいのかわからないままに大きな鍋にカレーを煮込む

二日後の外国行きのチケットが避難の意味をおびてしまった

断水の日々はつづいて出発のときを迎えて飛行機のなか

到着の直後はじめにしたことは風呂はいること水がでること

道端で日本人かと問われれば祈っているよと会うひとすべて



2017年3月4日土曜日

帰り道

残業ののちのくらやみ足裏にやわらかく踏み帰る道のり

日が落ちて視力うしなう両の眼は覚えているか翼もつ日々

うつくしい光を放つものとして拾う鴉に返すどんぐり



2017年2月27日月曜日

春一番

春一番吹いた土地からプチプチが中まで春の空気を入れて

チョコチップクッキーたちはひしめいて梱包材に抱かれて静か

「あげるね」と書かれた手紙これもまた愛することの一部であれば

出会うより以前に会った日の声を顔を覚えられない私は



2017年2月23日木曜日

書評諸々

2016年の話になりますが、記録として。

9/13発売の週刊朝日で、いしいしんじ『海と山のピアノ』(新潮社)について書評を書きました。
http://book.asahi.com/reviews/column/2016091600003.html

11/1発売の週刊朝日で、『あなた 河野裕子歌集』(岩波書店)について書評を書きました。
http://book.asahi.com/reviews/column/2016110400001.html

12/20発売の週刊朝日で、アンソニー・ドーア『すべての見えない光』(新潮社)について書評を書きました。
https://dot.asahi.com/ent/publication/reviews/2016122200165.html

どうぞよろしくお願いいたします。



自動車

ラジオから流れる曲が終わるまでエンジンキーに指かけたまま

起きぬけに郵便受けへ挟まれた遠いガソリンスタンドの火

冬の日のサイドミラーは凍りつき割れてこなごなさらさらきらきら

しんしんと雪積もりゆくワイパーのうえにもヘッドライトの光にも



2016年9月18日日曜日

面倒な人


コーヒーを飲めないことを告げるとき面倒な人だとまたひとつ思われ

親指の爪のあいだに挟まったあんぱんの餡きれいに落とす

噛んで言い含めるように話すとき彼女は小学校教員の顔

ごみ箱に紙くず一寸届かない しょうがないなとかがむ君の背



2016年7月6日水曜日

桜前線開架宣言、おめかしの引力

ご無沙汰しておりましたが、3/1発売の週刊朝日で、山田航『桜前線開架宣言』(左右社)について書評を書いております。
http://book.asahi.com/reviews/column/2016030400005.html

また、6/7発売の週刊朝日で、川上未映子『おめかしの引力』(朝日新聞出版)について書評を書いております。
http://book.asahi.com/reviews/column/2016061000002.html


どうぞよろしくお願いいたします。


2016年6月11日土曜日

人待ち

窓をうつ雨音そして開かれた本のページに落ちる陽だまり

飲み込まれ吐き出されゆく改札の新陳代謝をさまたげ止まる

太陽がじりじり動き人待ちの群は後退を余儀なくされる

この次に信号が青に変わったら渡りおわったら電話をしよう


2016年2月19日金曜日

やはらかき雨

やはらかき雨が二月に降つており窓にあたれる音もやさしい

やはらかき雨が二月に降つており少し薄着のこころもとなさ

やはらかき雨が二月に降つており煙となつて雪は消えゆく


2016年1月31日日曜日

日々

  氷柱

がらがらと落ちてくだけた氷柱から信じられないほどのきらめき

セーターにダウンの羽根がついていて「天使の羽根だ」というあなたよ


  東京出張

花束の草の匂いがこだまする小田急線の優先席前

姿勢よく眠れるひとの背後よりたちのぼる湯気くもりゆく窓


2016年1月24日日曜日

過ぎゆく人々

好きだったひとにもらったひざかけはひざかけとして愛用している

かなしみをたたえる指でスイッチを押してもテレビはきっと明るい


2015年12月20日日曜日

映画館

席ひとつ隔てた先にいるひとの顔は知らないけれど泣いてる

涙拭くためにあるような時間エンドロールのハッピーエンド


2015年12月15日火曜日

くらやみ

朝明けの光のなかで凍りつく郵便ポストのなかのくらやみ

頬を切るくらいに張りつめた白の封筒 口へ口へ押し込む

くらやみの中で手紙は眠るだろう郵便ポストに霜降りる日の


2015年11月15日日曜日

ポッキーとプリッツ

11月11日、ポッキーとプリッツの日に、岡野大嗣さんとの往復書簡「ポッキーとプリッツ」を始めました。
http://pockytopretz.blogspot.jp

季節に1、2回の更新です。
そういえばポッキー(またはプリッツ)食べてないな、食べたいなと思ったら(たぶん)読みどきです。
よろしくお願いいたします。

院内カフェ

お久しぶりです。
さて、10/6発売の週刊朝日で、中島たい子『院内カフェ』について書評を書かせていただきました。
http://book.asahi.com/reviews/column/2015100900003.html

「選ばなければ、求めなければ、普通の人生だってやってこないのだ」という一文が印象的でした。

どうぞよろしくお願いいたします。

2015年7月7日火曜日

太宰治の辞書

七夕ですね。皆さまいかがお過ごしでしょうか。

さて、6/30発売の週刊朝日で、北村薫『太宰治の辞書』について書評を書かせていただきました。
http://book.asahi.com/reviews/column/2015070300003.html

『太宰治の辞書』は、北村薫さんのデビュー作からつづく、《私》と落語家・円紫さんシリーズの最新作。
このシリーズを初めて読んだのは、早稲田の大学図書館でした。
主人公の《私》も早稲田の学生で、出版社でアルバイトを始めたりして、自分と重ね合わせて読んだ記憶があります。
もう新作は出ないだろうと(著者でさえ)思っていたら、17年ぶりの新作ということで、嬉しい驚きでした。

どうぞよろしくお願いいたします。

2015年3月18日水曜日

2015年読書記録


思いはたくさん、あふれるほど胸をつくのだが、それを言い表す言葉を見つけられなかった。というより、言葉を発する瞬間に、わずかな重力を感じるようになった。何か言いたいことがあっても、その重力のため、口が簡単に開かなくなったのである。(西加奈子『円卓』)

私は古くからの友人ドビュッシーの家で、ずいぶん長い年月のあいだ、ご馳走になったあの思いやりのある昼食を忘れることができない。(エリック・サティ『卵のように軽やかに』)

柚木麻子『けむたい後輩』

江國香織『雪だるまの雪子ちゃん』
 ―― 雪であることをわすれているようなゆきだるまからもらうてぶくろ(笹井宏之)

荒俣宏『恋するアールヌーヴォー』

「まあ、面倒ではあったが」仕事とはそういうものだ、と言おうとした。(中略)「千葉さんは、僕たちのために、面倒くさいことをしてくれた」山野辺は小さく顎を引く。「それだけで充分です」(伊坂幸太郎『死神の浮力』)

加賀谷哲朗『沢田マンション超一級資料』

この人が大切だ。ハセオは大切な大切な男ともだちだ。この先もずっと。だから、甘えてばかりでは駄目だ。ハセオに何かがあった時、私が助けてあげられるように、私も変わらなきゃいけない。(千早茜『男ともだち』)
 ―― ぐつぐつと水菜の横で煮えている「友だち」という言葉のずるさ(俵万智)

穂村弘/酒井駒子『まばたき』

小さな食卓をととのえながら、私の孤独は私だけのものだ、と思った。(江國香織『温かなお皿』)

ひとしきり笑い転げたあとで、レナートが「覚えておいて」と改まった。「小さな欠点しかない男には、小さな長所しかないわ。大きな欠点のある男には、大きな長所があるのよ」(平安寿子『セ・シ・ボン』)

柚木麻子『嘆きの美女』

中島京子『パスティス』

トーベ・ヤンソン『少女ソフィアの夏』

柴崎友香『私がいなかった街で』

尾崎俊介『ホールデンの肖像』

2015年1月26日月曜日

いつか来た町

新年もだいぶ経ちましたが、皆さまいかがお過ごしでしょうか。

さて、1/20発売の週刊朝日に、東直子さんの随筆集『いつか来た町』について書評を書かせていただきました。
http://book.asahi.com/reviews/column/2015012300002.html

この本に登場する町を実際に歩いて、東さんの思考をたどってみたりしました。面白かったです。
旅に出る気力はないけれど、ちょっくら知らない町に行きたい!という時に読んでみるのも良いですね。
ぜひ、それぞれの楽しみ方を見つけてみてください。

よろしくお願いいたします。