デボラ・ペリー・ピシオーニ『シリコンバレー 最強の仕組み』(日経BP社)を読む機会があった。
それで昔のレポートを思い出したのでメモ。
「最強の仕組み」は、端的に言えば、シリコンバレーは地元のスタンフォード大学とがっちり連携することで発展してきたという話。
そこで、アメリカにおける産学連携が生まれた背景を思い出す。
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もともとアメリカの州立大学では、地域経済の発展に貢献することが期待され、主に農学や工学分野の研究がされていた(※1)。しかし、大学に基礎研究が求められるようになった(※2)こと、また第二次世界大戦をきっかけに政府からの大学への研究資金が増大したことにより、産学の連携は弱くなっていった。
しかし1970年代に、再び産学連携に注目が集められるようになった。ベトナム戦争により政府からの研究資金が伸び悩んだこと、インフレによって大学のコストが膨らんだことから、大学が財政難に陥ったためである。そして産学連携が生まれる最も大きな要因となったのが、1980年に制定されたバイ・ドール法である。これは、自動車などの主要産業が日本勢に押され、貿易赤字を抱えていたアメリカの産業を復活させることが目的であった。これにより、公的資金による研究によって生み出された特許であっても国家でなく大学に帰属させることが可能となり、大学の研究成果の事業化や民間企業への技術移転が活発化していった。
※1
アメリカの州が、農学や機械工学の大学を設立したいという場合、政府が無償で土地を与える法律を「モリル法(Morrill Act. )」という。この法により作られた大学が、現在の州立大学となっている。
※2
「基礎研究→応用研究→開発→製品」であることから、基礎研究を支援し、研究基盤を構築することで応用・開発につながる、という考え方を「リニアモデル」という(『Science: The Endless Frontier』)。このリニアモデルが完全ではないことは分かっていたが、「何の役に立つのか」と言われやすい基礎研究を守るため、この考え方を採用していた。これにより、全米科学基金(NSF : National Science Foundation)が設立された。
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さらに歴史を遡ると、こういう時代の流れもあって、
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第二の科学革命(フランス革命;1789年)により、エコール・ポリテクニク(※3)が出現し、科学は「技術に益する科学」となった。エコール・ポリテクニクモデルはフランスから各国に普及し、ドイツでも高等技術学校(TH : Technische Hochschule)が工業発展に大きな役割を演じた。
一方で、そこでは技術を教えるという職業色が強く、研究をしない/できない指導者も多かった。そんな中、「学問を通じて人間形成するための大学」としてベルリン大学が誕生し、新しい大学理念が生まれた。実験教育を主とするギーセン式教育システムもリービッヒによって始められ、「技術に益する科学」としてではなく、「学問や研究を通じた人間形成を図るための科学」として多くの研究者を育てた。
※3
総合技術学校。科学と技術を一貫して結び付けるカリキュラムを確立。
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一概にどちらが良いとは言えないけれど、科学の捉え方としては、個人的には後者のほうが好きだなあ。
と、感想として思った、というメモでした。
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