2014年11月30日日曜日

2014年読書記録

2014年春くらいから、メモしてある限り



書きとめなくては、伝えておかなくては、忘れてしまう、消えてしまう。ともすると、とりとめもなく時間を流してしまうけれど、今しか書けないものを、ふんばって書いておかなくては。(東直子『東直子集』あとがきより)

無限か有限かも、もうわからないような遥かなときのなかで、いま、こうして、ここで、人々は存在して、出会って、思いをやりとりした、生きていた、ということはやっぱり事実で真実で、誰もいなくなっても、この瞬きのようなできごとは本当のことだったんだと言えるような、そんな気がしています。(川上未映子『六つの星星』)

村上春樹『中国行きのスロウ・ボート』

つまり、半分くらいのお友だちに。内側から、外側のアンナをめずらしそうにながめて、自分たちのすきなことをアンナもすきで、自分たちの持っているものをアンナも持っていて、自分たちのすることをアンナもすることを期待するでしょう。(J. ロビンソン『思い出のマーニー』)

越谷オサム『いとみち 三の糸』

かつて誰もがクールに生きたいと考える時代があった。高校の終り頃、僕は心に思うことの半分しか口に出すまいと決心した。理由は忘れたがその思いつきを、何年かにわたって僕は実行した。そしてある日、僕は自分が思っていることの半分しか語ることのできない人間になっていることを発見した。それがクールさとどう関係しているのかは僕にはわからない。しかし年じゅう霜取りをしなければならない古い冷蔵庫をクールと呼び得るなら、僕だってそうだ。(村上春樹『風の歌を聴け』)

「振りをするだけでもいい。そうだろ?強い人間なんてどこにも居やしない。強い振りのできる人間が居るだけさ。」(村上春樹『風の歌を聴け』)

日頃から人生は選択の連続のようにみえる。だけど本当には選択できる機会なんて、ごくわずかなのだ。大抵は、否応なく選ばされる。そのことだけはさすがに三十年近く生きて、もう知っている。(長嶋有『ジャージの二人』)

村上春樹『 螢・納屋を焼く・その他の短編』
村上春樹『やがて哀しき外国語』

ツイッターの創始者ジャック・ドーシーは、日本文化の「わびさび」に深く傾倒していて、物事を純化――シンプルにすることで本質が見えるという美意識を持っている。その美意識ゆえに、ツイッターにはだらだらと長文を書き込めなくなっている(中略)ドーシーは自分が愛するワビサビ精神にのっとって、人々が短歌や俳句のように洗練されたメッセージを呟くことを夢見たかもしれない(たくきよしみつ『デジタル・ワビサビのすすめ』)

女の子は人にしあわせにしてもらうことなんてできないんだよ、と、わたしはもういないニシノに向かってがみがみと言った。女の子は自分自身によってしか、しあわせになれないんだよ。ふん。(川上弘美『ニシノユキヒコの恋と冒険』)

「わかっちゃうものには興味がわかないというか、わからないからこそ知りたいと思うし、わかりたいと思いながら、汗を流し続けるしかない」「絶対に僕がわからない世界がある。でも、それに対して〈わからない〉だけじゃもうダメでしょっていうのがあって。わからない壁にぶちあたってもまだわかろうとする粘っこさみたいな、僕らはそういう姿勢でいるので。今日(マチ子)さんの言葉を借りると〈限界まで誰かに手を伸ばし続けること〉」(藤田貴大/ダ・ヴィンチ7月号)

「まあね、でも人生は本当にいっぺん絶望しないと、そこで本当に捨てらんないのは自分のどこなのかをわかんないと、本当に楽しいことが何かわかんないうちに大っきくなっちゃうと思うの。」(吉本ばなな『キッチン』)

津村記久子『ワーカーズ・ダイジェスト』

「ずっと高校生がいい?」「ううん。やっぱりね、誰かに食べさせてもらってるのは、肩身が狭いっていうか、結局なに言っても説得力ないなって思うのね」(柴崎友香『星よりひそかに』)

松家仁之『沈むフランシス』

人はみんな、道はたくさんあって、自分で選ぶことができると思っている。(中略)しかし今、知った。はっきりと言葉にして知ったのだ。決して運命論的な意味ではなくて、道はいつも決まっている。毎日の呼吸が、まなざしが、くり返す日々が自然と決めてしまうのだ。(吉本ばなな『満月』)

「ああ、風がきもちいいね。なんだか、夜って青いね。」「うん、夏だからね。夏はいいよ。」(吉本ばなな『サンクチュアリ』)

穂村弘『蚊がいる』
吉本ばなな『白河夜船』

「自分の中に言葉がある」って、ある時期から思わなくなりました。若い頃は考えもしませんでしたけども、それは言語……言葉を意識してからですね。自分の中の言葉がすごく貧しいって思うように なったんです。語彙もないし、経験も少ないし。そういうんじゃなくて、自分の外にある日本語を考えると、これはもう巨大でものすごく豊かな世界だと。(中略)そこから言葉拾ってくりゃいいじゃないかっていうふうになったんです。(谷川俊太郎『詩を書くということ』)

逆境をパワーに変え、あるいは受けたダメージを効率よくメリットに変換するのには頭がいる。だれもが生きやすく生きようと思ってできるわけではない。だったら、大人が子供に教えるべきは、この変換機能そのものだ。知恵と教養は精神を助け、いずれは身を助ける。(高殿円『マル合の下僕』)

宮沢賢治『可愛い黒い幽霊』

「東京で年上の人とつきあったことがあった。すごく忙しい人で、昆虫の研究をしてたんだけれど。そのとき、そう思った。男の人はゆるされるかぎり、どこまでも淋しくて暗くて深すぎるところに行くよね。わざわざ。」「ああ、暗くてくだらない、おいしいものでも食べて寝るか、ってすぐ明日になっちゃうよね、女の人はね。」(よしもとばなな『海のふた』)

津村記久子『カソウスキの行方』
デイモン・ラニアン『ブロードウェイの天使』

詩なんか読んで、いったいなにになるんだとおっしゃる方も多いだろう。たしかに、なんにもなりはしない。だが、こういうことは言えそうだ。私たちは日ごろひどく振幅のせまい感情生活を送っている。喜びであれ悲しみであれ、よくよく浅いところでしか感じていない。ところが、詩を読み味わい感動することによって、喜びや悲しみを深く感じることができるようになる。(木田元『詩歌遍歴』)

都築響一『東京スタイル』
ヘレ・ヘレ『犬に堕ちても』

生きてゆくこととは、つまり食べて眠って金かせいでっていうことなんだと、僕はずいぶん小さい頃から知っていた。(川上弘美『どこから行っても遠い町』)

生きてきたというそのことだけで、つねに事を決めていたのだ。決定をする、というわかりやすいところだけでなく、ただ誰かと知りあうだけで、ただ誰かとすれちがうだけで、ただそこにいるだけで、ただ息をするだけで、何かを決めつづけてきたのだ。(川上弘美『どこから行っても遠い町』)

瀬尾まいこ『春、戻る』
山本美希『ハウアーユー?』
川上弘美『ハヅキさんのこと』
宮木あや子『校閲ガール』

悲しい気持ちなど全部消えてしまえばいいと思う。(東直子『いつか来た町』)

柴崎友香『春の庭』

意味だけで捉えようとすると、短歌という短い詩歌は、たちまちに輝きを失う。(河野裕子『桜花の記憶』)

椰月美智子『枝付き干し葡萄とワイングラス』
原田マハ『本日は、お日柄もよく』
トーベ・ヤンソン『旅のスケッチ』
岸本佐知子編『変愛小説集 日本作家編』
村上春樹『ランゲルハンス島の午後』
マーク・トウェイン『ジム・スマイリーの跳び蛙』
池澤夏樹『池澤夏樹の世界文学リミックス』
村上春樹/安西水丸『村上朝日堂』