手話について。
先日、電車の中で、手話で談笑している方々をお見掛けしました。
いいなあと思いました。
比較的空いていましたので、横長の座席に、こう二人ずつ対面に座って。
声を届けるには少し困難な、その距離を、光の速さで会話している。
ときどき、笑い声だけが、ごとんごとんという車内にふっと咲く。
いいなあと思いました。
わたくし、大きい声が出せないのが悩みです。
どうがんばっても、いや、がんばって出さなきゃと思うほど、喉が締めつけられて声が出なくなる。
声が大きい人を、ずっと羨望の眼差しで見つめています。
ですから、私にとって手話はとても魅力的です。
どんなに私の声が届かなくても、手話ならば届く。
手さえ見えれば。手話という言語が通じれば。
ところがどっこい、手話の経験は小学校のときで最後です。
音楽祭で、手話付きの合唱をしました。
♪今まで 出会った たくさんの
きみと きみと きみと きみときみときみときみと
これから 出会う たくさんの
きみと きみと きみときみと 友達
というやつです。
つまり手話はできません。できたらいいなと、ずっと思い続けています。
ある印象的な記事があります。
「壇上でブロンズ像のトロフィーを渡されると、その重さにしゃがみこんでしまった。富山国際大学付属高校3年の山崎芽佑里さん(18)は、小柄できゃしゃな女の子だ。」
手話スピーチコンテストで優勝した女の子の話です。
「人前で赤面し、上がってしまう悩みを抱えた高校生の世界は、手話との偶然の出会いで大きく広がった。」
聴覚障害をテーマにした映画「ゆずり葉」を観たのだそうです。
そして早速、近所の公民館の手話サークルに入ります。
「手と表情で心が通じ合うことが、『楽しくて仕方がない』と感じるようになる。」
(2011年8月27日、朝日新聞、「窓」欄より)
手話はきっと魅力的なものです。
そのことを私はときどき、想像して楽しんでいます。